マルコ・ポーロの東方見聞録に「紀元前より中国では、牛乳と氷を用いて、一種のアイスクリームが作られている」と記されていますが、この話を聞いた当時のイタリア人は創意工夫して、シャーベット風の氷菓子を作るようになりました。
この冷たく、爽やかなデザートはイタリアの国より世界中に広がっていったのです。
サンタのアイス工場のアイスクリームは、本場イタリアの立型フレーザーを用い、牛乳やフルーツ等、厳選された天然素材だけをふんだんに使い、オーバーラン(アイスクリームに含まれる空気の量)を少なく抑えて、濃厚さがあるのにサラリと軽い口あたりのおいしさに仕上げました。
永い歴史の中で育まれた、本場イタリアのアイスクリームをサンタのアイス工場はお届けします。

アイスクリームデザイナー
永田章一

店舗の案内

店舗名
サンタのアイス工場 Santa’s Ice Factory

運営
有限会社 永田冷菓

代表
永田 章一

所在地
〒863-2201 熊本県天草市五和町御領6472-1

連絡先
TEL:080-4276-2221
FAX:0969-32-2235

永田冷菓のあゆみ

昭和29年10月

熊本県天草郡五和町にて雑貨小売業「永田商店」を前代表者永田藤三郎が個人商店として創業する。永田藤三郎29歳の時。常に新しさを求め、積極的に商売に取り組みました。

n_03当時の行商の様子

昭和32年3月

始めはアイスキャンディーの行商をしていましたが、もっと美味しいものを!との思いから冷菓製造を開始し、店名を永田勉強堂と変更しました。
※勉強堂とは・・・お客様が要望するお値段を勉強させて頂きますよ!っという意味です。

当時の永田勉強堂

昭和32年3月

糸こんにゃくが、ビニール袋にビッシリと密封されているのを応用し、カキ氷を袋詰めにして販売しました。
このカキ氷が爆発的に売れ、一日に1000個以上造りました。これが「ガリッとチュー」の原形であり、今日の永田冷菓を支えてきた品物です。

ガリッとチュー

昭和40年

店名を永田冷菓に変更し、現本社所在地に冷菓工場を新築移転。本格的にアイスクリームの製造・販売を始めた時期です。

当時のアイスクリームショップ

昭和55年4月

有限会社永田冷菓を設立する。(資本金900万円)
永田藤三郎が代表取締役に就任しました。藤三郎55歳の時です。

昭和57年

永田藤三郎は会長に就任。
長男:永田章一が代表取締役に就任しました。永田章一(29歳)
このころからコンピューターによる販売管理システム等を導入。
イベントなども積極的に行い始めた年でした。

昭和61年7月

熊本県本渡市に本格アイスクリーム専門店「フィレンツェ」を開店。
「FIRENZE」という名称は、地元の高校生からの一般公募で決定しました。

フィレンツェ本渡店

平成4年5月

ジェラード工場を増設し、カルピージャーニー社より立型フリーザーを導入する。このフリーザーの刀がアイスクリーム造りの命となっております。

縦型フリーザーと刀

平成9年1月

フィレンツェ新築オープン

フィレンツェ

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